小学生のころ 1

 私が過ごした永松銅山での小学生のころの話を少ししてみたいと思います。
雪はどのくらい積もるかといえば、最近では大雪のニュースが連日テレビなどで放映されるので「ああこんなもんか」と思いながら見ていらっしゃる方が多いと思いますが、その中で生活する人たちには大変なことです。朝起きてみると入り口が塞がっている、なんてことはざらで、入り口を開けることを繰り返していると、それがトンネルとなりだんだん長くなり、4~5メートルの雪のトンネルができます。
子供達はそれで結構楽しいのですが、雪かきをする大人たちは大変だったと思います。
当番を決めて、胸までの新雪を毎日のように雪かきし道を開き、屋根の雪下ろしをして、下ろした雪は屋根よりも高くなり、雪下ろしではなく、雪上あげの状態になることもしばしばです。
もちろん冬になる前に雪囲いは十分にしてあり、家も頑丈な造りにはなっているのですが、窓の外はびっしり雪がつまりまったく太陽はありません、この状態が3月頃まで続きます。あまりの大雪、吹雪だと大人たちは大変ですが子供達には楽しみがありました、それは休校です。休校をどうして決めるのか、それがユニークな決め方でした。
私の父はその頃、PTAの会長をしていて、早朝、校長から電話が入ります。「今日の吹きはそちらではどうですかねー」というような問い合わせだったと思うのですが、私の集落は高台にありお天気には敏感な地区でしたので父は「相当吹いてますね、今日は低学年は休校にしましょう」てなことを言うわけです。
私達兄弟はこんな吹雪の日には学校へ行きたくないものだから、なんとか休校にしてもらおうと、そばで父の袖を引っ張って顔色を伺いながら成り行きに注目するわけです。
それから全家庭への連絡の方法がユニークです、その頃はまだ家庭には電話などありませんでしたから、均一に連絡しなければならない方法は唯一つ、これだけは全家庭に必ずあるもの・・・、そうです電気、電灯です。

銅山には独自の水力発電所がありますので、簡単です。発電所へ連絡を入れます。「今日は電気2つだ!!」と。しばらくすると照明が2回フッ、フッと消えます、これで今日は小学1.2年は休校です、ちなみに3回だと小学4年まで、4回で中学まで、つまり全校休校です!。電灯が一回消えるごとに“ひーとつ!ふたーっ!みーっつ!”と数えながら、手をたたいた覚えがあります。
懐かしい思い出です。


(モノクロの写真は当時の冬の集落の様子です、このような集落が他にも四箇所ほどあり、3000~4000人の人たちが銅生産に携っていました。向かって左上方の高台に家形が見えますが、あのあたりが私の家でした、カラーの写真は昨年秋現地を訪れたときの写真で、家は跡形も無く、当時の写真で右下に見える橋が鉄の支柱だけの残骸になっていました。)

 

top page
小学生のころ2