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 月山、私にとっては故郷永松銅山と同じ比重にある場所です。
「月山」てなに?という方のために少し説明が必要なようですね、「がっさん」と呼びます、位置的には山形県西川町にあります。
「出羽三山」という言葉はお聞きになったことがあると思いますが、月山、羽黒山、湯殿山の三山を総称して出羽三山と呼ばれるわけで、古くから信仰の対象として知られ、月山はその主峰になります。
羽黒山は鶴岡市に属し国宝の五重塔や山伏で有名で今でも大勢の山岳信仰者の聖地となっているところです。
なぜ月山と呼ばれるかというと、遠望したときにそれは理解できます。なだらかな稜線が手前の山に落ち込んでいるさまはまさに月を連想させ、そのやさしい容姿からはそんなに厳しい山とは思えないのですが、冬季にはとても人が近づける山ではないのです。 標高は1989mとたいして高い山ではないのですが、特殊な位置にあるため豪雪に見舞われます。つまり日本海に近いため大陸おろしの湿った風雪が直接影響し、ところにより10m以上の積雪となります。
ですから4月中旬、他のスキー場が閉鎖するころ、やっとスキー場がオープンします。
今年はなんとなく「滑り足らないな」というスキーヤー達が集まってくるのですが、設備の完備したスキー場を想像してくると大変なことになります。リフトが1本あるとはいえそれは登山用のリフトと考えたほうが無難です。
月山は自分の体力だけが物を言う世界です、「私をスキーにつれてって」的な考えで行くと泣きを見ることになりますよ。
私たちにとって月山はあまりにも近すぎる名山です、あまりにも近すぎるためその存在にも気が付かないのです。特別に見ようとしなくてもいつでもそこにある、それだけ生活の中に溶けこんでいる山です。
この地方では中学に入ると必ず月山登山が義務付けられていました。確か男子生徒だけだったような気がしますが、一種の元服式のようなものではなかったでしょうか。
7月1日、月山の山開きに合わせて登山は行われます、私が最初に月山登山をしたのは、白岩中学の2年生の時だったと記憶しているのですが、その頃はまだ登山リフトもないころだったので、志津から歩いたことになるわけですが、そのあたりの記憶がはっきりしていません。その後東京で学生生活に入り、同級生と初めて4月に月山に登りました。その頃でもまだ登山リフトはなく、バスも無い時代でしたから志津からスキーを担いで登りました。
今考えれば無謀な登山そのものでした、月山を知っているのは私だけ、夏山は経験していますが冬は初めてですし登山口さえ知らないで皆を連れて行ったわけで、まったく勘だけの無謀登山でした。幸い4月ということで雪は固く締まっていて歩きやすいのですが、日当たりのよいところは溶け加減で、ズブズブともぐりリュックサックの重み、スキーの重みで皆へとへとになり、何とか半日かけてやっと姥沢に到着し、一軒だけ通年留守番が居る山小屋「つた屋」(今はありません)、にたどり着いたときは正直「無事連れてこれた」、という安堵感と責任を果たせたことで非常に疲れたことを覚えていますが今考えるとゾッとします。
“私も若かった”
温めたカンズメのカレー、マヨネーズをぬった食パンの味が今でも思い出されます。
月山の 高山植物 を少し紹介します