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6月末、寒河江に行ってきました、昨年に続いての永松銅山に関する写真展、今回は鬼海新作さんが撮った写真がほとんどで、新作さんはどんな写真を撮っていたのだろうか、興味がありました。永松の住民にとって新作さんは有名人です、ただ一人の郵便配達人です、雨の日も風の日も沢山の郵便が入った大きなカバンを肩から下げ、「中切」から「上岱」まで、一日2回毎日郵便を配達していました、もしかしたら、あのカバンの中にカメラを忍ばせていたのかもしれませんね、配達の途中、見なれた景色、外で遊ぶ子供たち、通学途中の小中学生、又訪れた家庭にもカメラのレンズは向けられたようです。 カメラは職場にも入り込み、坑内で働く人々、電話交換室、選鉱、分析など、生き生きと働く男女が捉えられています。
風景では所長宅、学校、購買など大切地区全景を撮影した、珍しい写真が目につきました。学校裏のはげ山の頂上から撮ったと思われる、ちょっと考えられないアングルからの写真、あの山に登るにはどこから登ったらよいのか分かりませんし、登ったという話も聞いたことがないほどの難所なのです。新作さんは目が悪く、ひどい近眼で、牛乳瓶の底のような眼鏡をかけてい記憶があり郵便の、宛名を見る時も手紙に顔を近づけ、まるで舐めるようにして住所を確認していたことを思い出しますが、そんな不利な条件の中でもカメラを手放さず、シャッターチャンスを探す根性には改めて尊敬します。 今回会場となった寒河江市立図書館は市内にあり、市役所のはす向かいに位置し、市の中心部あたりになります、ガラス張りの瀟洒な建物で、明るく開放的な建築です。
写真展は、正面を入るとすぐのロビーで展開されており、新作さんが急坂を自転車で郵便配達する自身の写真が、説明文とともにトップを飾り、働く姿、子供たち、人々のくらし、四季、などに分類された写真が手際よく配置されていました。昨年同様今回も、市史編纂室の宇井啓先生とスタッフのご尽力で実現したわけですが、なぜ二年続けて「永松」なのか、という疑問があり、そのことを先生にお尋ねしたいと思い、厚かましくもお邪魔してしまいました。
先生のオフィスは図書館の二階にあり、昨年の写真展でもご尽力いただいた同じく市史編纂委員の中山秀子先生、それから編集スタッフの柏倉さん、この三人が一つの部屋でお仕事をなさっており今回の写真展でもなにかとお手伝いを頂いたようです。昨年の資料展終了後反響があり、こんな写真もあるよ、など沢山の情報が寄せられ、その中でも新作さんの息子さんで鬼海進さんが大量に保存されていた故人の写真を提供されたことで、「もう一度、それも新作さん個人の写真展として開催してみよう」と思いつかれたようです、それに市内には沢山の元永松住人が住んでいて、今は亡き故郷への郷愁から是非にという要望もあったということです。
それから先生は言っておられました、「あの当時世の中は決して安定期ではなかった、特に筑豊、三井系の炭鉱などは労働闘争の歴史といってもいいほど、会社側との対立があったが、永松にはそれがない、町の人々、農村の暮らしも平穏ではなくどちらかといえば殺伐とした日常であったはずなのに、写真で見る永松の人々はどうしてこうも明るく、平和な顔をして暮らしていたのだろう」という疑問が湧いてきたそうです。
そして写真を整理していくことでなにかヒントがつかめるかもしれないと思いついたということです。時間が掛かるかもしれないが是非調べてみたい、そして「永松銅山、図碌」(仮題)というような形で記録に残したい、と先生は熱心に語られました、私は、是非完成させてください、とお願いし、今回の写真展開催のお礼を述べ失礼しました。

(写真中、自転車を押す新作さん)

(写真右上、写真展の会場 私立図書館)

  永松銅山写真展