冬休みの思い出
今ではもう時効だと思うのでお話しますが、永松では冬の間一部の大人たちの間で、遊びと言っては御幣があるのですが、行事でもないのでそういう言い方しか出来ないのですが、狩猟があります。
狩猟と言っても大きな獣は銅山ではあまり見かけないので、狐とか野兎とかの小動物と、キジなどの鳥類になりますが、3月、雪がカタ雪になる頃から盛んになります。
もちろん狩猟免許など持っている人たちはいなかったと思うのであまり大きな声では言えないのですが、もう何十年も前のことなので告白します。
当時、父の弟すなわち私の叔父も永松銅山で働いていて、同じ上岱に住んでいました。
私の家族は白岩に転勤していて、夏休み、冬休みの時などはよく遊びに行ったりしていたのですが、私が始めて猟銃を持ったのは高校生の時でした、その頃は東京で高校生活を送っていたのですが、冬休みで白岩へ帰っていて、永松の叔父のところへ遊びに行った時でした、「今日兎狩りに行くがお前も行ってみるか」といわれました、もちろん二つ返事でOKです。
叔父は同行せず「鉄砲撃ち仲間」の人たちに連れて行ってもらえということになりました。
当然鉄砲など撃ったこともなく、始めて触るわけです、事前に「けっして人には銃口を向けないこと、弾丸は直前まで込めないこと」、打ち方としては、この銃は強い銃なので、「肩と頬をしっかりと台尻につけること」と言われました、そうしないと反動で「肩とか頬の骨を折ることなる」と脅かされ、試射もなしで「お前は初めてだから弾はそんなにいらないだろう」と5・6発しか持たされず、叔父の銃を借りて出かけました。少し不満でしたが文句も言えません、向かった先は葉山方向でした。
何時間歩いたのかよく覚えていませんが、中切地区を越え、十部一峠を越えていったわけですから相当歩いたと思うのですが疲れは全くなかったですね、同行した人たちは5・6人居たでしょうか、銃を持っていない人も2人ぐらい居たと思います、この人たちは”勢子”です。
途中、葉山へツアーに出かけていた先輩や後輩達とすれ違ったりしながら目的地へ着きました。
当時の狩は銃を持った人たちが主な峰々に立ち、勢子が谷底から声を上げたり木の幹を叩いたりして徐々に峰の方へ移動しながら小動物を追い上げ、追われて来た動物を峰に立った「撃ち方」が狙い撃ちするというやり方でした。
私もリーダーから指示された場所に立ち待機しました。他の人たちもそれぞれ指示された峰に向かい、勢子達は追い上げるべく静かに谷へ下りていきました。
やがて”空薬きょう”を吹く”ポー”と言う合図が聞こえます、最後の人が配置についた合図です。
サー、いよいよ狩りの始まりです、谷の底から勢子が発する声が聞こえ始めました、木を叩いたり、色んな声を上げています、その中には”それー!!行ったぞ!行ったぞ!とか”出たぞ出たぞ!!、とか行っています、勢子達からはきっと獲物が見えているのでしょう、私も銃に弾を込め待ちます、目を凝らして辺りを見回します、緊張した時間です。
どのぐらい経ったか分かりませんが、その間も勢子達の掛け声は止むことなく続いています、しかしなかなか獲物が現れません。
来る途中「今日は獲れるかどうかなー」などと大人たちが言っていたように、必ず獲れるとは限らないわけで、むしろ獲れるときの方が少ないようです。
どのくらい経ったか、チラッと白いものが動いたような気がしました、と見る間にその白いものはすごい速さで私の方へ一直線に走ってきます、兎です!!、距離30mぐらいあるでしょうか、夢中で銃を構えましたが獲物はあっというまに距離を詰め、10mぐらいまで来てしまいました、夢中で引金を引きました”バーン!!☆★△▼”・・・、肩と頬を同時に殴られたような反動が来てよろけながら踏ん張りました。が命中しませんでした、私の撃った弾は反動で激しく銃口を跳ね上げられ、空しくブナの枝数本を吹き飛ばしただけでした。兎は一直線に私の足元を駆け抜けて真後ろに行きました、私は素早く後ろを向き弾を詰め替えました、その時は非常に落ち着いていたような気がします、一発を撃ったことで全てを学習したような気がしました。
空薬きょうを抜き弾帯に戻し、実弾を装てんし兎を狙いました、数秒も掛かっていなかったと思います、その間も兎からはけっして目を離しませんでした、そして瞬時に考えました、銃身は必ず少しでも跳ね上がるので、少し下を狙う、肩で反動を吸収できるように柔らかく構える、獲物が跳んだとき、手足、体が伸びきり標的として一番大きくなる、そこを撃つ、と。
しっかりと台尻を肩に付け柔らかく構え、反動を吸収できる体制で、獲物の少し下と伸びきった体の前足付近を狙い撃ちました、”バーン”・・・、今度はしっかりと踏ん張っていたのでよろけることもなく立つことができました。
命中!!、見事命中です、当たりました!!、ウサギは一度大きく跳ね上がりその後もんどりうって雪の上に落ちました、雪はみるみる赤く染まり、真っ白だったウサギも赤く染まりました。
三発目を装てんしてから倒れている兎のところへ走りました、撃った弾は兎の頭、胸付近に命中していて即死のようでした。勢子達は銃声を聞き「それツツ、やった、それツ、やった!!」と前にも増して大声で叫びながら登ってくるようです、やがてしばらく経ってから勢子の人たち、他の峰に立っていた人たちも集まってきました、その間私は呆然と兎のそばで立っていたようです、死んだ兎を見ながら思っていました「考えてみれば俺は卯年生まれだった、なんか可愛そうなことをしてしまったなー、狐かなんか他の動物ならよかったなー」。
それからが大変です、「英二君が撃った!撃った!、初めてにしては上手いもんだ、良くやった!!、合格、合格!!」と大騒ぎ。
その日は場所を変えて2〜3回同じように狩をしましたが、結局その日の獲物は私が撃った一匹だけでした。「始めてのとこにはよく来るんだよ」と、大人たちの悔しそうな負け惜しみと笑顔が忘れられません、獲った獲物は大人に背負ってもらい、帰りましたが、一発も撃たなかった大人たちは要求不満らしく、時々向かい側の谷を兎が走っているのを見つけたりすると、射程が届かないのが分かっていても撃ってみたり、「お前の鉄砲なら大丈夫だ」、などと言いながら撃ちっこしたり、最後は標的を作って射撃大会のようなことをしながら帰りました、私も持っていた弾を全部撃ちつくして帰りました。
叔父の家に帰ると又一騒ぎで、叔父も大変喜んで、「獲ったのはお前だけか、いやーよくやった!よくやった!」と大喜びでした。
兎はすぐに解体され、皮は防寒具とした使用するため丁寧に剥がされ、形を整えて何日か天日に乾かすときれいな白い暖かい背当てになります。
肉は喰いこんでいる鉛の玉をきれいに取り、背の部分にほんの少しですが生でも食べられるようなところがあるようですが、大部分は肉汁にします、貴重な蛋白源です、野兎なので少し硬い感じがしますが、山の男達はそんなことはちっとも気にしません、叔父の家でうさぎ汁です、少し歯ごたえがある感じは覚えていますが、美味しかったかどうか記憶にありません。
その後なんどか叔父と狩に行き、大人たちは結構獲物にありついていましたが、私が立った位置にはさっぱり上がってきませんでした、それ以来獲物を獲ったことはありません、やっぱりマグレでしたかねー。