ここから銅山川を少し下ったところに、第二の砂防ダムがあります、赤沢側のダムよりは先に出来ているのでこちらの方が第一かもしれません。赤沢砂防ダムより規模が大きく、銅山川と赤沢川の土砂をここで食い止めようということでしょう、水はやはり貯まっていません。この付近は広い川原になっていて、いも煮会などしたら気持ちがいいだろうなと思うところです。ここで私たちは用意してきた昼食を取りました、途中のコンビニで買ったおにぎりはとても美味しいと感じました、山形の米が使われているようです。魔法瓶に熱いお湯を詰めてきたので、インスタントのコーヒーを入れました、これも美味しかったです、なんとなくボケーっと周りを見ていました、川が流れる音しか聞こえず、静寂そのものです、こんなところで熊に襲われたら”ひとたまりもないな”等と余計な考えをしたりしてしまいました、そういえば今回は私は大きな「カウベル」を腰につけて絶えず音を出すようにしています、先生に聞いたら先生は”爆竹”を用意してきたそうです。元の赤沢の広場に戻ると誰か人が居ました、元住民の方が結構訪れると聞いていましたが、この方は茂木さんという方でした、父上が銅山で建築の仕事に携っていた方で、そういえば「茂木大工さん」と言われた方を思い出しました、なんでも作ってくれ、そういえばスキーなども作ってもらった記憶があります。茂木さん自身も中学卒業まで永松で生活したそうです、私より大分若い方です、奥さんを同行され、山形市に住んでおられるようですが、時々来るそうです、しばらく話をしました。それから偶然に私の同級生にも会いました、しばらく旧交を温め十部一峠まで戻り、今回も月山が見えるところまで行って見ました、月山は頂上が雲に隠れ紅葉もここから見る限りではまだ少し早いようでしたが、残雪が三ヶ所ほど確認され、2000メーターにも満たない山に万年雪があるという不思議さに今更ながら驚きました、昨年来た時に確認されたがけ崩れで露出した山肌はそんなに目立たなくなり、雑草かもしれませんが山肌を覆い隠し、あんなにひどかった傷跡は目立たなくなっていました、自然の回復力は凄いなと感じました。
予定では明日行くことにしていたのですが、先生はこれから戻れば「十分見られますよ」というのでそうすることにしました。先生と寒河江まで戻り資料展を見ました。(資料展の様子は最初のページです)。
翌日は、一日暇になってしまったので、谷地の従兄のところへ寄り、ついでに「紅花資料館」を見学しました、同資料館は従兄の家から車で10分ほどのところにあるのですが、今まで一度も行ったことがなかったので、連れて行ってもらいました。資料館となっている旧堀米家の広大な敷地に点在する屋敷、そして由緒ある展示物、全てに歴史の変転を感じることが出来るすばらしいものでした、説明していただいた方は「槙」さんという方でこの方は私の母方の親類に当たり、3年ほど前まで紅花資料館の館長をしておられて、退職したのですが、時間があるとボランティアで説明役を買って出ているそうで、今回もわざわざ説明役をお願いしてしまいました、名調子で分かりやすい説明に感銘しました。永松・幸生銅山資料展 3