永松銅山では一番西の高台にあり、集落としては小規模で三棟の長屋があり九世帯が生活していた。
私の住んでいた家は一番奥の長屋で、三軒長屋の一軒目、学校、購買所などが集中する大切りまでは一番遠く、冬は隧道(洞門)を利用していた。
現在では、赤沢が永松を訪れる時の中心になっていて、その奥の上岱まで行ってみようと思う人は住んでいた人を除いてはほとんど無く、どのような状態になっているか見当がつかず、行ってみたいのだが一人で行くには相当の勇気が必要だ。
昭和5年ごろの永松の記述の中には上岱の地区名が無いところを見るとそれ以降に新設された比較的新しい地区。
唯一全景に近い一枚、三棟がかろうじて写っている。 赤沢からのジグザグの登り道が見える。 (大沼敏章さんから借用) |
|
春先、赤沢地区の雪解けごろの写真、赤沢地区と左上方に上岱の長屋が少し見えている。 (大沼敏章さんから借用) |
|
冬の赤沢と、赤沢越しに上岱の台地が橋の上方に平らに見える。 |