(推定)
地区名をクリックすると写真が出ます
銅山はどの位の標高にあったのか興味があって調べてみたのですが、私の知る範囲の記録、図書を見てもどこにも出ていませんでした。
しかし十部一峠が標高874mであることと、山岳地図などから推定すると、「赤沢」、「川前」地区が一番低く標高500m前後ではないかと思われます、「選鉱場」と「大切」地区は山を一つ挟んではいますがほぼ同じような標高に位置していたと思われます。こうして見るとまるですり鉢状の地形の中にあったわけで、これでは間近にある月山も葉山も見えないわけです。そういえば比較的高い位置にあった「上岱」でもラジオが満足に受信できなかったことを覚えています。現在も携帯電話は通話出来ないようです。
一番高い「中切」地区が700m前後、この高低差の中を人々は普通のことのように往来していたわけで、今更ながら永松銅山住民の生活は大変なことだったと思い返されます。(永松出身者は今でも足腰が丈夫です。)
500m
選鉱、精錬
大切
650〜700m前後に点在
中切
上岱
赤沢
川前
550〜650mに
集中
600m前後に
点在
550m
隧道
500m