銅山では一番の高所にある、主に坑内で働く人々が暮らしていた地区。 中切抗、幸生銅山を経由して白岩までの鉄索の停留所があり、十部一峠への道路もここからあったような気がする。 同級生が何人か居たが上り下りがきつく登校も大変だったようだ、冬は分校が開設された。 (写真は全部大沼敏章さん所有から借用したものです)
カラミ坂社宅。
中切分校。 冬の間、大切の本校までは登校が困難な小学低学年生は、この分校で勉強した。
中切、2号社宅
中切全景
深い緑の中の中切社宅