すぐ下には赤茶けたズリの跡があり先生の話しによると、「姥敷銅山の跡だ」ということでした。この深い谷底に永松があるのだと思うとなんとしてもいってみたい気持ちが抑えられなくなりました、赤沢の上流がここからは良く見え、去年の台風で山が崩壊しその濁った水が最上川まで達したという現場が遠望され崩れた山肌は今も無残な姿をさらしていました。ここには永松中学同窓生が立てた自然を大切にしようという看板があり、自然、永松を愛する同窓生の気持ちを汲み取ることができ胸が熱くなりました。用意してきた昼食をここで取り、去りがたい気持ちもありましたが、今日は最終日、帰らなければならないのでしかたなく帰路に着きました、途中見晴台から近く
、”千本楢”に立ち寄りました、現在では自動車道路のすぐ下になってしまっていますが、まだありました!、先生に危ないと言われましたが思わず道路から駆け下りていました。滑り落ちてズボンを泥だらけにしてしまいましたが、懐かしかったです、古い知人に再会したようでした。当時から立派な古木ではありましたが、さらに年齢を経て貫禄の古木になっていました、しかし大きな洞が出来ており、大丈夫だろうか、あと何年かして強い風でも吹けば倒れるのではないかと心配でしたが、まだまだ元気で立派な枝を空に伸ばしていました、記念写真を撮り後にしました。
木戸口での高橋家との関係などお尋ねしたいと思いました。山形紀行 3