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 峠から少し肘折寄りに月山が良く観える所があり、そこは中切地区があったすぐ上なのでそこまで行って見ました、月山は少し雲がかかっていましたが良く見え、この時期でも残雪があちこちに見られ、今年はもう消えることはなく、新しい雪が積もるのもそう遠くない季節だと思いました。すぐ下には赤茶けたズリの跡があり先生の話しによると、「姥敷銅山の跡だ」ということでした。この深い谷底に永松があるのだと思うとなんとしてもいってみたい気持ちが抑えられなくなりました、赤沢の上流がここからは良く見え、去年の台風で山が崩壊しその濁った水が最上川まで達したという現場が遠望され崩れた山肌は今も無残な姿をさらしていました。ここには永松中学同窓生が立てた自然を大切にしようという看板があり、自然、永松を愛する同窓生の気持ちを汲み取ることができ胸が熱くなりました。用意してきた昼食をここで取り、去りがたい気持ちもありましたが、今日は最終日、帰らなければならないのでしかたなく帰路に着きました、途中見晴台から近く、”千本楢”に立ち寄りました、現在では自動車道路のすぐ下になってしまっていますが、まだありました!、先生に危ないと言われましたが思わず道路から駆け下りていました。滑り落ちてズボンを泥だらけにしてしまいましたが、懐かしかったです、古い知人に再会したようでした。当時から立派な古木ではありましたが、さらに年齢を経て貫禄の古木になっていました、しかし大きな洞が出来ており、大丈夫だろうか、あと何年かして強い風でも吹けば倒れるのではないかと心配でしたが、まだまだ元気で立派な枝を空に伸ばしていました、記念写真を撮り後にしました。
 木戸口で菊池家に立ち寄ったところ範代先生が在宅していて、いろいろお話を伺いましたがまだまだお聞きしたいことはいっぱいあり、再度お訪ねし永松時代のこと木戸口での高橋家との関係などお尋ねしたいと思いました。
帰途は大石田駅から新幹線に乗ることにして、尾花沢にある先生のご自宅へ寄らせていただきました、奥様も教師をされていて今日は学校の授業の一環で出かけているということでしたがお母上にお会いしました、お母様は白岩にもお住まいだったこともあり、私の知り合いのことも良くご存知で、人はどこでどういう繋がりがあるのか分からないと不思議な気分になりました。
 まだまだお話を聞きたいと思ったのですが新幹線の時間も迫ってきたので、失礼しましたが、先生には本当にお世話になりました、我々があまりにも関心を持たなすぎた故郷について、外部の方がこれだけ熱心に探査し、研究しておられることに感謝し、今後も継続して調査していただくことを約束しお別れしました。

千本楢の写真を次ページに掲載しました

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山形紀行 3