2008年9月中旬、寒河江市に行ってきました。
寒河江市郷土館で、「永松・幸生銅山資料展」を見るためです。なぜ寒河江市で永松かと疑問に思ったのですが、幸生銅山は寒河江市になりますが永松は大蔵村の管轄に入るからなのですが、幸生を語る上でどうしても永松を外すことが出来ないということ、交通的に永松に行くには寒河江市を通過しないと行けないということ、そして主要な拠点は大蔵村ではなく寒河江市側にあったこと、通過する町が、昔から銅山と深く係わってきたからではないかと思います。また寒河江市では歴史の掘り起し的な活動が活発で、埋もれてしまいそうな歴史を今に伝えようとする運動が盛り上がっていてその一環で、今年の郷土館のイベントとして開催されたようです。
主催は寒河江市教育委員会、そして寒河江市史編さん室の宇井啓氏が中心となり開催されました。
実は、私が出展した何点かの資料も展示されたと言うことで、それも見てみたいと思った訳です。 8月の中旬だったと思いますが、寒河江市立図書館・寒河江市史編さん室の宇井啓先生から突然電話を頂き、私のHPをご覧になったらしくその中の写真などを使わせてほしいということでしたので、お役に立つならご自由にと申し上げたわけです。
私としてもまがりなりにも、永松のことをHPに書いているわけですからもっともっと永松銅山のことを理解して頂きたいし、むしろこういう企画は願ってもないことだと考えました。
資料展初日には永松・幸生銅山についての宇井先生の基調講演があったので、是非拝聴したかったのですが、どうしても時間が取れず行かれませんでした、本当に残念でした。郷土館は寒河江市内にある長岡山の西側、寒河江高等学校の北に位置します。 明治11年に郡役所として建てられ、日本最初の郡役所として使用された建物は県内初の洋風建築物でもあり、隣り合わせにある議事堂と共に由緒ある建物で、保存に値する文化財です。現在は一般公開され、通常は歴史、民族、考古学資料が展示されていて、今回の「永松・幸生銅山資料展」はその二階を使用して展示されていました。
資料を募ったことで、地元に在住する元永松、幸生住人、又その他からも多数の資料が集まり、古い写真類、コピーではないオリジナルの坑内図など、よく現存したと思われる貴重な資料が沢山展示され、知っている方々が写っている写真など見て感激しました。今回の目的は実は資料展見学だけではありません、永松の現地へ行くことも目的の一つです。次ページへ続きます。

右上の写真、資料展を説明する案内板の前で
左下の写真、寒河江市郷土館木造建ての、歴史を感じさせる建物

top page

永松・幸生銅山資料展