十部一峠は寒河江市と大蔵村の境界線にある峠でここまでは登りでしたが、肘折へ行くにも永松へ行くにもここからは下りになります。十部一から永松への道路は相変わらずゲートはありましたが鍵は掛かっておらず開ければ自由に行けるようです、森林管理署では問題ないといっていたのですが、実際に大丈夫かどうか心配だったのですが、これで一安心です、あとは永松へ下るだけです。
十部一峠まではまがりなりにも舗装がしてあります、しかし先生の話では、「肘折温泉までは途中で舗装が途切れ、知らないで行く人は大変な目に会うだろう」と心配していました。永松へ下る道路ももちろん舗装などはしてありません、狭く急勾配、急カーブの道路が続きちょっとの気も抜けません。旧道はどこだったか、見等もつかず、「夫婦楢」や「百本楢」などがあったと思われるところも分かりませんでした。やがて学校裏の特徴のある山が見えてきて、もう着いてしまったかとあっけなく思いました、十部一峠から15分も経っていなかったような気がします、ずいぶん前に来た時は大切(おおぎり)にも行ったのですが、下り口と思われるところを先生と一緒に探したのですが分かりませんでした、よほど永松に詳しい人と一緒でないと無理だなと思いました、どちらにしても深い”ヤブこぎ”をしないと行ける所ではありません。そこから又しばらく下り、昔は選鉱場の跡が見渡せた所まで来ましたが、深い木立に阻まれているのか、それとも崩れてしまったのか、残念ながら今では見えません。
それから砂防ダム建設用に作った烏川(からすがわ)に架かる橋を渡ると赤沢はもうすぐです。(赤沢川と烏川が合流するところから下流を銅山川、上流を烏川と永松の人たちは言っていたような気がします)。ここだけは平地で草も生えていません、元住民の人たちが絶えず訪れ、ここで生活していた頃を回想しながらしばらく思いに浸る場所です。
永松では一番低い場所で、四方は山、見上げれば空です、この日はお天気が良く青い空が覗き込むように永松に降り注いでいました。ここには昔、生活用水として使われていた湧き水が今もコンコンと湧き出ていてきちんと整備された水場は、きれいな水を絶えず流し続けています。この水だけを汲みに来る人たちもいるようで、このときもポリタンクを持った人が車で来ていました。
私もその辺りをしばらく散策しました、上岱に登る道を探したのですがどうしても見つかりませんでした。新しく出来た砂防ダムは赤沢川に架かる橋の少し上にあり、ダムと言っても水を貯めるような構造ではなく、上流からの土砂をここでストップし銅山川への流入を防ごうという目的のようです。赤沢川は本当の清流に戻っていました、ここからは上岱の平らな台地が望むことができ、住んでいた長屋のそばからは赤沢川を見おろす位置にあり、崖っぷちには大きな楢の木があったのですがここからは分かりませんでした。崩れた吊り橋を探しました、対岸の橋脚は見えるのですがこちら側の橋脚は全く見えません、広場から少しヤブこぎをしてやっと見つけました、完全に傾いてしまい、一部は流れの中に倒れこんでいました、川の流れも長い年月の間にだいぶ変わったようです、立派に立っていたころは永松のモニュメントとしていつまでも残したい遺産でしたが、こうなってしまうと何とも寂しく、このまま朽ち果てていくと思うとやりきれない気持ちでした。
次ページへ続きます
永松・幸生銅山資料展 2