私が永松を去ってはや60年、子供の頃の記憶は鮮明とは言えませんが思い出すことができます。
その中でも、少年時代を過ごした上岱の記憶は今でもはっきりと思い出すことができます。
吹雪にも負けずにスキーに興じた豪雪の冬、猫柳、こぶしの花が芽吹き、雪解けが眩しい春、山で遊び、川で泳いだ夏、山ブドウ、アケビ採りに夢中になった、赤トンボが夕焼けの空を埋め尽くすほどに飛んだ秋、 今思えばすべてがメルヘンの世界だったような気がします、これは私が歳をとった証拠かもしれません。
私の記憶はすべて自分の都合のよいように展開しているようです。嫌なことだったかもしれませんが、今思い出す全ての記憶は良い思い出として閉まってある引き出しの方に移っていて、そこから引き出す思い出はすべて良い思い出として出てくるのです。
しかし上岱には今まで帰ったことがありませんでした、これまでは赤沢までは何度か行っているのですが、そこから仰ぎ見る上岱のなんと遠かったことか、わずか30メートルも登ればたどり着くことが出来るのですが、いつもため息をついて諦めなければなりませんでした。赤沢からの登り口も分からなくなっていて、確かこの辺に道があったはずだと、見当をつけて行ってみるのですが、まるで四次元世界への入り口みたいに感じ、ここに足を踏み入れたらもうこの世には帰ってこれないのではないかと思うような恐怖感があり、とても一人で行けるような所ではありませんでした。
登山は好きでそれも単独行動が好きでよく出かけ、山へ入るのも怖いと思ったことはありませんでしたが、ここだけは特別な心理状態に陥る場所でした。
永松会でも「一緒に行ってほしい」というと「もう何も残ってないよ、行ったって無駄だよ」ぐらいのことしか言ってくれませんし、上岱に住んでいた人たちも、行ってみようと思う人など居ませんし、そういう人たちも結構年配になっていて、もう動くのが面倒臭くなってきているのでしょう。
しかし今回念願の上岱に行ってきました !!
永松出身者で鈴木義雄さんという人がいて(永松会の鈴木会長の弟さんです)、私よりだいぶ若いのですが、彼は大蔵村で毎年開催している「葉山塾」という、少年たちが自然を学ぶ体験実習のお手伝いをしていて、毎年ボランティアで参加しているのですが、赤沢でもよくキャンプをするのだそうです、たまたまその打ち合わせが大蔵村であるので、写真展見学のついでに「上岱に連れて行ってあげるよ」ということになったわけです。
上岱出身者が中切出身者に連れて行ってもらうというのもなんか変ですが、前述したようにとても一人で行く勇気はありませんし、義雄さんは永松のスペシャリストでなんでもどこでも知っている人です。
今回ももちろん東海林先生も一緒です、力強い味方が二人にもなったことで私も勇気リンリンです。
当日、義雄君と東京を発ったのですが、指定の関係で車両が別々でした、「つばさ」は結構混んでいて、ほぼ満席でした、窓際に席を取ってコーヒーでも飲みながら、移りゆく外の景色を楽しもうと思っていたのですが、中年のご婦人と隣同士になり、このご婦人結構お話し好きで、「どちらまで?」と話しかけられ、出身はどこで、住んでいるところはどこでとか、お互いの環境などいろいろ話しているうち、いつの間にか目的の村山駅まで来てしまいました、こんなにおしゃべりしながら旅行したことは始めてでした。おかげさまで退屈もせず、居眠りも出来ない旅でした(ありがとうございました)。新庄の実家へ用事があって帰るところだと言っていましたが、なかなか魅力的な方でした。
村山駅で義雄君と合流し出迎えてくれた東海林先生の車でいよいよ出発です。
午後、大蔵村の役場の人と約束があるので、どうしても写真展を先に見たいという義雄君の要望で寒河江市立図書館に寄り写真展を見てから永松へ出発です。
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