義雄君はためらいもなく体を乗り入れ、先生も入っていきました、私も「これから行きます!」と心で唱えながら入りました、すぐに急な登りで、昔はこんなではなかったと思いながら、遅れないように木につかまりながらよじ登りました。少し登ると「アレッ道がある」と思いました、細いけれども心なしか少しへこんだ道が斜めに確認できました、記憶をたどりながらもしかしたらあのあたりかなと思い出しながら登っていきます。しかし道なき道はすぐに消えてしまいました、あとは勘で登るしかありません、
行く手には笹、つる、雑木が立ちふさがり、もうなにがなんだかわからない状態でした、前では義雄君が「ドッチダー」と怒鳴っているけれど、私に分かるわけはありません、が思い出してこれが最初の斜めの道だとすればそろそろジグザグのカーブに差しかかっているはずで、真っ直ぐに行けば「お墓」への道に入るはずなので「右だーッ」と怒鳴りましたが、右への道が見つからず真っ直ぐ行ってしまったようで、「コッチじゃないぞー」ということになり引き返しました、少し戻るとジグザグの曲がりの痕跡がなんとなく分かり、「ヨッシ、こっちだ!」ということで右斜めに登って行きました、間違えていなければこの辺に「馬頭観音があるはずだ」と思いあちこち探してみると、太い木の根元に石が置いてあり、よく見ると「馬」という字が微かに読み取れ、これがそうだ!!、と確認出来ました。
先生も「ここまでは以前に来たことがある」と話していました、そこから上はますます藪が激しく、つるを潜り、笹をかき分け雑木を迂回しながらしばらく行くとなんとなく平らな場所に出ました、義雄君は相変わらず「どっちダーッ」と怒鳴っているし、私もよくわからないので「この辺だー」と怒鳴り返しながらしばらくして、じゃーこの辺で人家の痕跡を探してみようということになり、三人であちこち歩いてみましたが、なにしろジャングルですから見通しなどありません、足元を掻き分けながら見つけるしかありません、しばらくガサガサやっていると義雄君が「あったぞーッ」と大きな声を出しました。急いでその場所に行ってみると、なにかありました、最初は倒れた木かなにかと思ったのですが、それは 水道用に使っていたと思われる鉄管、排水を処理したのだろうか鉄の網で塞がれたコンクリート製の箱、などが見つかりました、又、正方形の鉄製の箱、(囲炉裏か掘りごたつの箱か?)、長屋の基礎のコンクリート、長さ4〜5mぐらいが苔に覆われて確認できましたが3棟あった長屋のどの長屋だったかまでは分かりませんでした、もう少し詳しく調査するには、もっと時間がほしいと思いました。いずれにしても、私が住んでいた上岱にやっと来れました、ジャングル化して、身の丈よりはるか高い雑木に覆われていますが、この場所には、確かに人の暮らしがありました、ここ永松には一つの企業しか存在せず、その中で住民は完全に生活を保障され、賃金の格差はあったでしょうが、人々は日々の暮らしを心配することなくそれぞれの仕事に励むことが出来ました、日本が危険な賭けに出ている時もここでは平和な日々でした、子供達はみんな仲良く、缶けりをし、隠れんぼをし、月の夜は影踏みをして遊んだ時代がここには確かにあったのです。突然木の陰からあの頃の友達がひょっこり顔を現わすような錯覚に襲われしばらくは放心状態でした。
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